某月某日、東京に戻ってきた一つの理由に「瀬戸内寂聴先生のお別れ会」に顔を出す、という目的があった。
でも、ぼくは気がのらないのだ。
だから、新潮社の桜井さんや光文社の田邊さんには「欠席」とお伝えした。なぜだろう・・・。
行くつもりではいたのだけど、欠席、と伝えた理由がいま一つよくわからなかった。
ぼくは帝国ホテルの入り口で、「瀬戸内寂聴先生、お別れ会」と書かれた札を見つけた。三階まで登ると、静まり返っていた。
重い空気感、・・・違うんだよな、と思った。
それから受付に向かうと係の方が、
「ここは作家の列で、一般の方はあちらになります」
と言われたので名乗ったら、欠席、と伺っておりました、と言われた。
「申し訳ありません。来てしまいましたが、入れますか?」
と告げると、どうぞ、と言われた。
参加費を支払い、ぼくは中に入った。
すると、すでに大勢の人が参列しており、どなたか、たぶん偉い先生が瀬戸内さんのことを語っていた。「この戦争の時代に、・・・」という言葉が聞こえてきた。
会場にいる方々は皆さん、手を前に組んで神妙に話を聞いていらした。
ぼくの真正面に、先生の遺影があった。
笑顔のいい写真だった。
「先生、なんか、しんみりしているんだけど、ぼくは帰りますね。また、いつか会えるといいけど、楽しい時間をありがとう」
と言い残して、数枚写真を撮影してから、踵を返した。
誰もいない廊下を歩きながら、
「先生はきっと、みんなにペンライトを持って振ってもらいたかったのじゃないかな。バンドが演奏したり、楽しいお別れ会がよかったんじゃないかな。でも、コロナだからなぁ、それもできないし、それに、お別れ会は残された人たちのものだから」
と自分に向けて、つぶやいていた。
その通りだと思う。残された人たちから、すぐに連絡が飛び込んできた。
ラインとかSMSに、
「辻さん、どこにいるの? 来たんですね? あの、NHKの番組のインタビュー受けてくもらおうと思ったのに」
みたいな内容だった。
それはね、違うんだ。
ぼくはしんみりしたくないし、先生もきっと望んでないと思って・・・。
既読にしなかった。ごめんなさい。
大お婆様がぼくに昔言った言葉を思い出した。
「よかか、ひとなり。人間は死んだら終わりじゃ。それは悲しいことやなか。死は残った人間のもので、出ていくものにはもう関係がない。だから、わしの墓に来る必要はなか。来てもわしはおらんとよ。それが死ったい。じゃあ、わしはどこにおるとか? それはな、わしのことを好いてくれた、残ったものたちの心の中にじゃ。大切な人が亡くなったら、遠くで、手を合わせたらよか。大勢が悲しんでいる場所じゃなく、そっとできる場所で、ありがとう。楽しかったです、っち、言うとよか。通じる」
ぼくはホテルを出る時に、振り返り、静かに、手を合わせた。
楽しかった先生との思い出はぼくのものだ。
それぞれのお別れがあるね・・・。
つづく。
読んでくださり、ありがとう。
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