世間に顧みられず、貧困の中で死んだ戦前の作家、藤澤清造の「没後弟子」を自称した西村さんは、「無頼派作家」と言われた。だが、書くことには真面目で頼りになる人だった。
最後のやり取りは、西村さんが尊敬する石原慎太郎さんの追悼文をお願いした1日だ。午後3時、1200字の原稿を5時半締め切りで頼んだ。「15分待ってくれ」。5時半に携帯電話があった後、1分と遅れず、ファクスで届いた。「動揺もあって汚くなって申し訳ありません」。原稿の表紙に手書きされていた。
西村さんは小学5年の時、父が事件を起こして家族は夜逃げ同然の状態となった。不安定な生活を送った頃の唯一の楽しみは読書だった。「面白い純文学を書きたい」とよく語った。読み、書くことが自分の全てで、それらが生活の手段でもあると骨身に染みていた。
2日朝刊の紙面を作り終え、お礼のファクスを送ると、急に不通になった。寂しがりなのに、一人になりたがるところがあった。(文化部次長 待田晋哉)
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